今日は

中村氏を見舞いに埼玉までドライブ。


運転が大好きなのでサークルで車係をやったり、ことあるごとに友達をドライブに誘うのですが、どうも毎回帰りが遅くなる傾向にあります。
一人暮らしの感覚に慣れきっている僕としては25時帰宅なぞ屁でも無いのだけど、自宅生だと親の目が気になりはしないかと毎回帰り道想像してしまって、申し訳ない気分になってしまいます。

さて、僕の予想では中村氏は体の各所にチューブを繋がれ、酸素吸入器をつけた状態で、一言もはなせないとかいった若干ヤバげな状態になっているはずだったのですが、全くそんな様子はなく、たらたら歩き回るし毒舌も健在でした。ただ以前よりもさらにやせているようでしたが。もはや骨と皮しかない。みたいな。
今日は少し熱があるらしく、万全の体調と言う訳ではなかったのですが、それでも面会時間ギリギリまで久しぶりの再会を楽しんできました。


退院日を賭けの対象にしてみたり、病室でお見舞いビデオを見て爆笑したりと色々あり得ないお見舞客でしたが。


何にせよ、毒舌と尊大さが健在で何よりでした。また暇を見付けてお見舞いに行こうっと。




その前にテスト勉強をしなければですが。
今日車内で「詐欺」についてきかれて説明できなかった自分に吃驚。
おい、本当に法学部生なのかよ。

天国までの100マイル

ちょっと前だけど、読みました。


今更なのだろうか。なんか映画化されてた気もするけど…。


昔から本を読む事は好きだったのに、硬派な本は全く読まず、小学生の頃から偉い人の伝記(宮本武蔵とか聖徳太子とか…マイルスのは読んでないや。残念!)とかSF小説とかライトノベルとかNewtonとかエッセイとかばっかり読んでたので、未だに小説が大好き!
小説の良いところは、文字を追うごとに映像が浮かぶところ。
「目に浮かぶよう」という表現通り、本当に映像が浮かび上がってくるのですよ。
でも硬派な本(例えば法律書!)はそれが無くて。
ただ白い紙と黒い文字を追うだけ。
物語を読んでいる時は、目はもちろん文字を追っているのだけれど、それと同時に感覚器官を飛び越えて脳にダイレクトに映像が浮かんできます。それが楽しい。
でもジャンルによっては硬派な本でも映像が浮かんでくるんですよね。
例えば宇宙科学の本とか、遺伝子の本とか、歴史の本とか。
恐らく幼い頃に、脳の中のそういった特定のジャンルの情報を処理する分野と映像を司る分野が結びついたんでしょう。


話がそれた。
偉そうに語ってみたものの、実は毎日小説漬け、という訳ではなく。
基本的に電車が嫌いな僕としては電車に乗っている時間には何か読んでいないと気が済まなくて、いつも何か活字を持ち歩いているのですが、たまたま手持ちが無く、しかも30分以上電車に乗る時とかにふらっと本屋で面白そうな文庫を買う、って感じです。
一日2〜3冊は読んでいた小・中学生の頃とはえらい違いだ。えっへん。オトナは忙しいのだよ。


そんな訳で「天国〜」も暇つぶしに買ったのです。
浅田次郎氏の「プリズンホテル」を読んだのがきっかけと言えばきっかけ。
氏の文章はテンポがよく、ストーリーも面白いのでさくさく読める本として重宝してます。


内容は伏せますが、読んだ後思わず母に電話してしまいました。


いつまでもというわけには行かないけれど、とりあえず一人前になるまでは元気でいてね、おかあさん。



あ〜また後半だれた。
ここで気張って書けば来年あたりの自分は喜ぶんだろうけど。
いいや!



最近耳から妙な液が垂れる程聞いている曲より。



Just friends, lovers no more
Just friends, but not like before
To think of what we've been and not to kiss again
Seems like pretending
It isn't ending
Two friends drifting apart
Two friends but one broken heart
We loved, we laughed, we cried
And suddenly love died
The story ends and we're just friends


別に失恋した訳でもなく、僕今は(正しくは「も」)独り身なんだ的なフリでもなく、単純に昔の事を懐かしんでいるのです。
未練があるから、吹っ切れないから、忘れられないから、思い出は美しい。


あの頃を思い出せば心は初恋のまま。


あなたがくっさいババアになろうが、セイウチと見紛うデブになろうが、ヤク中になってくたばろうが、どっかのオッさんと所帯を持とうが、想いを確かめ合わなかったからこそ妄想の世界でばしゃばしゃ泳げるのさ〜。
だって僕はアキバ系〜♪
ろくな人生歩めない〜♪





もえもえ〜♪

耳が痛いんだ

ってばよ。


8/8〜12の間合宿に行って参りました。
行くからには練習を、と思ってはいたものの、合宿前のとある作業の疲労が抜けきらず、しかも4時間睡眠後に車で東京から長野に行き、というハードスケジュールだったためか合宿中ほとんど「リフレーッシュ!」ってな状態が無く。
そのため結構周囲から見ると「練習してない」「いつも寝てる」「いつも滑ってる」「寒い」「帰れ」ってな感じに見えたんじゃないかな。
来年こそは、いや春合宿こそはもう少し有意義な合宿にしよう。うん。決めた。


んでもって耳ですよ。


合宿中狂ったように右耳を小指でほじくり回していたところ、昨日の夜急に右耳が痛くなり、ついでに音も聞こえなくなり、散々です。
おまけに今日耳鼻科に行ってみたところ、保険証が無いと全額自費負担との事。
まあ自費負担って言ったっていつもの診察料が2倍になるくらいだろう。確かこの前駒場の保健センターに行った時は500円くらいだったから1,000円用意すれば足りるべ。


と思っていざ会計に臨むと、「4,800円になります」だと!
僕は10分オッさんのよくわからない御託につきあっただけだぞ、と。
それにうまい棒480本の価値が、いやさ、ちょっと気張って彼女とやや高めのレストランで食事した時に彼女がバッグから財布を取り出そうとする手を優しく押さえて「今日はおごるよ」って言える価値が、「男の見栄:プライスレス」なマスターカードの一括払いの請求書を見てやりすぎたーってちょっぴり涙する俺の気持ちがこもっているのか、と。
まあつきあった事無いから後半は僕にもよくわからないんだけどね!うるせー氏ね。


とにかくそんな気持ちだったんですよ。
いや、マジで。

イライラ

最近徹夜と睡眠不足が祟ってかどうもイライラしがちです。
イライラしてると世界が楽しくないけれど、イライラしてしまうくらい根つめて何かをしないと得るものは無い。


水のようにさらさらと生きるべしと言った人がいるけれど、それは逃げだ!
いろんなものに引っかかって、たまには逆流したりしてみるほうがいいや。


でもそのせいで、細かい摩擦が生まれるのは忍びない。
周りの人に迷惑ばかりかけている気がする。
ごめんなさい。でもありがとう。


本当にいい人生だなぁ。

あちゃー

何も言わずにこちらを見てみてください。


http://blog.livedoor.jp/safe_food_of_asia/archives/50010839.html


なんと言うか。
もちろん金がない我々庶民にとって安い中国製品はありがたい限りなのですが。
しかし自国民すら口にするのを憚られる食品を輸出されていたとは。
まあ、こういう話題ってあまり口にしない方がいいとは分かっているし、上記の記事も極論でない保証は無いのですが。
しかし火の無いところに煙は立たぬという訳で。


中国にしろ韓国にしろ北朝鮮にしろ、最近の日本の外交上の立場の弱さの原因は、外交能力の欠如というよりは明らかに「舐められて」いるせいな気がします。
日本は経済大国であり、技術大国でもあり、また近年ではアニメ・ゲーム・映画など文化の発信源ともなりつつあります。
しかし、結局国際関係が複雑化した現代において、経済大国や、技術大国足り得るには他国との関係が重要であり、単独では成り立たないステータスであると考えられます。例えば安価で高品質な製品を世界に供給する事で経済大国としての地位は築かれますが、それは買い手である先進国や、コストダウンに用いられる発展途上国の労働力を必要とするからです。そう考えると経済大国として有する絶大な経済力も、外交上では「切り札」、つまり一方的に相手にのみ損害を与えるアクションとして使いにくいのではないでしょうか。


すると、やはり外交の場において最も汎用性が高い強制力を持つカードは「軍事力」と考えられます。
なぜなら軍事力の行使は、その他の国家が持つ力を行使した場合に比べて遥かに自国の損害が少なく、相手に致命的な損害を与える事ができるからです。(例えば日本がある国に対して特定の一次産品の全面輸入禁止措置を採ったとして、相手国の経済に損害を与えますが、同時にその物品を原料とする国内産業にも少なからず損害を与えます。つまり多かれ少なかれ、相手国の損害と自国の損害が連結しているという事です。一方で軍事力の行使は戦費による国内経済圧迫というデメリットは持つものの、相手国の損害と自国の損害が連結している訳ではないので、自国の損害をコントロールしやすいと考えられます。もちろんケースバイケースですが。)


そこで日本の軍事力を考えると、残念ながら外交上の強制力として必要とされる「攻撃能力」が欠如しているといって差し支えないでしょう。
日本の軍事力を語る際によく用いられる表現として、「世界4位の国防費」、「東アジア唯一のイージス艦保持国」、「最先端の装備」といったものがあります。
しかし「世界4位の国防費」は日本人の労働賃金の高さと少なからず関係しており、「東アジア唯一のイージス艦保持国」といってもイージス艦は端的に言えば「防空能力の高い巡洋艦」であって、その新価は自衛隊単独では発揮させられません。「最先端の装備」には間違いなく、確かに作戦機や装甲車両などは世界トップクラスの装備を整えていますが、一方で空中給油機や空母と言った海外派兵に必要な装備は最先端どころかそもそも装備されていません。
自衛隊は恐らく本当に防衛能力しか持たない軍事組織と考えて差し支えないと思われます。
具体例を少し挙げれば、将軍様のお国に攻めようにもまず制空権が取れません。自衛隊が装備するF-15J戦闘機の航続距離は約4,600kmです。単純にあるポイントAからあるポイントBに行ってかえってくるだけであればAとBの距離は2,300kmあっても大丈夫ですが、実際にはB点で作戦行動を行いますし、帰投中に不意の回り道があるかもしれません。そう考えると純粋な作戦可能半径は1,000kmを大幅に超える事は無いでしょう。
つまり空母も空中給油機も無い自衛隊には、日本領内しか制空権が取れません。
これだけでも日本が外国を攻撃できない理由の説明になります。


そんな訳で、外国、特に東アジア諸国は日本との交渉に際して軍事力を考える必要がなく、経済力の行使という諸刃の刃を抜くぎりぎりのポイントまで詰め寄る事ができるのです。もし日本に軍事力があれば、ぎりぎりのポイントまで詰め寄ると不意にキレて侵攻してくる可能性がありますが、今の日本が万が一キレてしまっても自国にミサイルは飛んでこないのです。
今の日本は両手の無い人に似ているように思われます。
すなわち、どれだけ無理難題を要求し、罵倒しようとも決して殴り返される事は無い。蹴り、すなわち経済力の行使という強力な武器を持つものの、相手を蹴飛ばせば自らもバランスを崩して転倒し、怪我をするかもしれない。


近年自衛隊に海外派兵能力を持たせる意図の下か、空中給油機の導入や有事の際に空母に改装可能な輸送艦の建造、強襲揚陸艇の開発などが取沙汰されています。
憲法改正なども噂されています。


平和憲法と渾名される日本国憲法は、あるいはGHQによって与えられた憲法かも知れません。
しかし憲法9条から力を背景とした他者への強制の破棄という理念を読み取る時、それは人間の本能に対する理性の挑戦とも考えられないでしょうか。



…う〜む。
やっぱり無理があるな。
寝ます。

昨日は

サークルの友人が入院してしまいました。
別に命に関わることではないのだけれど、やはり心配ですな。
もしも医療事故が…とかは考えたくないけれど。


なにより毎日のように顔を合わせていた友人なので、しばらくとはいえ会えなくなるのが結構辛かったりします。
昨日は彼を見送る会をサークル後にやって、その時は馬鹿話ばかりして騒いで、見送るときも茶化して見送ったのですが、いざ起きてみると寂しいものです。


早く元気になって帰ってきたまえ。

凄いことに気づいた。

人間皮を剥いだら骨と内臓になっちゃうんだよ!
僕の頭の中にはプリンみたいな脳みそが詰まってるんだよ!
僕のおなかの中にはローションまみれのヘビみたいな腸が詰まってるんだよ!


うん。
気づいちゃった。


最近疑問に思うのは、便秘の人のお腹をばっさり切っちゃったお侍さんって、刀拭くのいやじゃなかったのかなーってこと。
たぶん、くさいよね。


勉強しなければと思いつつ、いつの間にかぐだぐだとほかに好きなことをやってしまう毎日。
好きなことをしているのに自分を嫌いになっていくのは何故だろうか。


法律も、もうすこし世にいる法律家たちの世界に近づければ楽しくなるんだろうけどね。
でもまだまだ法律ってくだらない屁理屈の世界に見えるのよね。
科学的な論理構造があたかも存在するかのような前提に基づいて枝葉末節の議論をこねくり回して悦に入ってる教科書とか。最終的にはケースバイケースで判断するしかないって分かっているくせに。


そうやって社会科学はベクトルが推進していくのだろうけど。
価値が増大しているかどうかはともかくとして。


あーもう。理系に行っておけば良かった。