利益優先が人を殺している

例の鉄道事故で被害に会った方の遺族の言葉です。


社長さんも大変なもんで、恐らく具体的な責任を実感として感じられないのにも拘わらず遺族に罵られる毎日。
別に彼に極度の欠陥があったわけでもなく、あの会社にもあの事故を起こす必然があったわけでも無いような気がします。


ただの偶然によって突然失われた身近な人の死。
冷静に考えればそう考えるのが最も妥当な気がします。
でもそうは考えられませんよね。


例えば僕の家族があの事故で犠牲となれば、誰でも良い、「誰」かを見つけて怒鳴りつけたくなるんでしょう。殺してしまうかも知れない。


しかしそんな言葉を投げかけた方も、例えば待ち合わせに遅れそうな時電車が遅れればイライラするでしょう。


日本人の特徴として比較文化で良く取り上げられるのは、「無心の奉仕」だそうです。
それは自己が帰属している社会の一般的な反応を考えた時、少しでも負の感情をもたれる行動を回避しようとする無意識から生まれるそうで。


例えば日本軍の兵士は天皇のためでも、アジアの平和のためでもなく、ただ社会から負の感情を持たれまいと黙って出征し、ただ軍隊という社会から負の感情を持たれまいと銃剣突撃をした、という事だそうで。


恐らく鉄道会社の方々は、現場の方であろうと事務の方であろうと多かれ少なかれ「電車を遅らせた時に無数の人々が抱くであろう不快感」というとてつもなく大きな重圧を恐れていたのでしょう。
電車が遅れた時は、駅のホームで生まれる無数のつぶやき、しかめっ面、時計を見る仕草、そういったモノが集まり、どす黒いうねりとなって彼らを襲うのかもしれません。
遅延証明を渡す時の気持ちは、もしかしたら事務として割り切れない何か後ろめたさを含んでいるのかもしれません。


表面的には利益優先が人の命を奪ったといえるかもしれない。
しかし僕には、無意識であるが故の恐ろしいほど残酷なつぶやきや仕草の総体があの事故を起こしたように思えてなりません。


「1分半が人の命を奪った」


遺族はそうも言っていました。
しかしなんでもない日常で人は1分半の遅れに対して容易に苛立ち、怒りをあらわにするのが現実です。
そんな自分たちの姿を顧みず、ただ「ダイヤ至上主義の弊害」と一方的に断罪するのは、酷く残酷で自分勝手な論理だと思いませんか。


遺族の方々には全く納得できない話であるにしても、です。