JJWリサイタル

リサイタルというのは所謂定期演奏会みたいなイベントで、学バン界では単独でイベントをやることは少なく、大体のイベントを主催者とゲストの違いこそあれ他大と合同でやるのが常ですが、その中にあって唯一主催サークルのみが出演するイベントです。
その為このイベントで最高学年が引退することが多く、JJWでもE年が引退しました。
常々思うことなんですが、人間何かについて終わりが近づくと、今まで大して努力していなかったり満足していなかったりしても「終わる」というスパイスを使ってそれまでのわだかまりを美しい思い出に昇華させ、自分や同期をあたかも生涯の友であるかのように褒め称えます。
高校の吹奏楽部を引退する時の自分がまさにそれで、引退前後はすごく幸せな気分に浸っていたのですが、大学に入って冷静に考えてみると、演奏者としても部活動の一員としても大したことはしてなかったな、としみじみ思いました。
そういうのが嫌で、これからは何かを引退する時、振り返ってみる将来の自分ががっかりしないよう、後腐れなく音楽をやっていこうと思いました。
その場として選んだのがJJWです(ここを見て下さるの大半の方がPOMPERなので恐縮なのですが)。

そういう思い入れもあって、今回引退する先輩たちがどんな風に引退するかを少し斜に構えて見ていました。
正直言ってJJWの演奏は下手です。
私が大学一年生の頃JJWに入る気が起きなかったのもやはり演奏が下手だったからでした。
はっきり言わせてもらえばこの程度の事しか出来ない人達が感傷に浸って引退するのは、私の嫌いな記憶の昇華の所作ではないかと思っていました。
ですが、引退する人たちの顔は画一的に晴れ晴れしていたわけではなく、十人十色の様々な顔をしていました。
きっと昔の私みたいな思いを思い出している人もいたことでしょう。昔の私のように思い出を美化した人もいるでしょう。単純に割り切って引退した人もいるでしょう。

それを見ていて、やはり自分は気を引き締めていかないといけない、と思う反面、至極当然のことですが、でもそうやって捉えることを善しとする人もいるんだな、とも思いました。
複数の人間が一つのことを共同で行う際、思い入れが異なるのは当然で、その思い入れの差が問題を引き起こすことも沢山あると思います。
そういう思い入れの差を如何にして調整し、許容していくのかが共同作業の肝では無いかなと、そういう当たり前のことを改めて実感しました。

面倒くさくなって後半適当に書きました。いずれ修正します。