足し算としての音楽。算盤のようなバンド

6時にバイトあがり。
そのまま寝たい所だけど、今日は9時に学館へ行って合宿に行っている吹奏楽部のために部屋取りをしないといけないので、眠いのを堪えて『坂の上の雲』を読む。
9時に学館到着。無事部屋は取れました。


その後POMPの新歓でやる曲の譜面を取りに東工大へ。
ついでに練習も見学。
やっぱり、集団でやる音楽って指揮者の力量が問われるもんだと再認識。
ある程度の腕があるメンバーが揃っていれば、ここのレベルでは譜読みが終わらないと言うことはないわけで、当然合奏の前には個々人がベストを尽くして譜面を演奏できるよう用意してくるわけです。
でも、やはり人間である以上解釈には個人差があって、例えユニゾンの譜面であっても吹き方や細かなリズムの取り方は違うわけです。
それは誰が間違っているというわけではなく、個々人にとってそれが正解な訳だけれど、でもそのままやってしまうとどうももっさりとした、縦のラインが見えにくい演奏になってしまうわけです。
そこを上手く指摘して、調整してやるのが指揮者というか、コンマスの仕事なのでしょう。
しかし、メンバーが上手くなればなるほどその細かなズレも見えにくくなるので、耳がよっぽど良くないとつとまらないのですね。
勿論、音源を聞き込めばある程度誰でも「ん?なんかおかしいな」とは思えるようになるのでしょう。
しかし大事なのは「なんかおかしいな」ではなく「ここがこうだからおかしい」と的確に指摘できる能力な訳です。
例えば裏のリズムの取り方がおかしいのでソリがもっさり聞こえるのに対して、「なんかもっさりしてる」と思い、「良く分かんないけど多分アタックの問題だろう」と考えて、「もうちょっとみんな入り切りしっかりつけて!」と言った所で問題は解決しないのです。
ましてや、「もっとパーンって吹いて!」とか「ここはもっとグワッと!」とか言い始めると明らかに指揮者失格です。
違和感の原因を明確に指摘できる能力。そしてバンドにどんなサウンドを作らせたいのかという明確なビジョン。
そういったものを兼ね備えている人間がいなければ、やはりバンドは個々人の能力を超えたサウンド、言い換えれば「足し算をした音楽」が作れないのでしょう。


今日思ったのはそんなとこ。


その後レッスンに行くも、なんか自分が嫌になるだけ。
最初はソリストになりたくてこのレッスンに行き始めたんだけど、今はソリストとしてよりも先ず5thサックスの職分をきっちりこなせるようになりたいと思っているので、先生との間に微妙な距離感を感じる。
音楽のとらえ方、ソロの美しさなど、話を聞く分には凄く参考になるんだけど、それより俺はもっと堅実な、信頼される5thサックスになるための練習をするべきじゃなかろうか…。