教える仕事

実は昔、真剣に教職を考えていました。
理由は簡単。
素敵な先生達に沢山出会えたから。
言ってることは意味が分からなくても、とにかく子供に何かを伝えたいという気迫が常にみなぎっている先生。
「受験に必要のないことはやらなくて良い」とか言っておきながら、物事の本質を見抜くためと称して関係のないことも色々教えてくれた先生。今から思えば照れ屋だったんだな。
子供の視点に立った授業をしようと常に試行錯誤を繰り返していた先生。
高校までの僕にとって一番身近な大人といえばやっぱり先生で、彼らが格好良ければそれに憧れてしまうのは当然のことでしょう。
で、大学入学当初、教職のための準備として塾講師や個別指導などをやってみました。
結果から言えば、理想と現実の差に打ちのめされたんですね。
伝えたいことが思うように伝わらないもどかしさ。
他の教師達のやる気の無さ。
管理サイドの営利主義。
甘かったと言えばそれまでですが、格好良い人たちは凄い人たちでもあった、という話で。
僕が担当したのはそれほど学校の成績が良くない子達のクラスだったんですが、まずこちらの話を聞いてくれません。
それは当然のことなので、彼らのレベルに合わせて基礎の基礎から話を始めると少し耳を傾けてくれるようになりました。
しかしそれだと規定の授業時間では進むべき進度に到達できない。喋る時間が足りない。
なので、授業で話すようなことをプリントにして、補助教材にして配ってみたところ、それなりの好感触。
もちろんそれは準備に時間がかかるわけで、2時間の授業のために5時間も6時間も準備しなければなかったわけです。
でもそれは「生徒の理解を助ける」という職務からすれば必要な時間なので、気にせずに続けていました。
すると塾長や他の教師から「そういうのは長く続かない」という事を言われました。
それは覚悟の上だったので、めげずにそのスタイルを続けてました。
ある日、授業が終わった後何気なくゴミ箱を見ると、昨日の夜完成したプリントが。
裏には「早く終われよ」。
そこで踏ん張れる人たちが僕が尊敬していた人たちで、僕はそこで踏ん張れないから、教えるバイトを辞めました。
その瞬間、諦めて割り切って適当な授業をすることも出来ます。
そうすれば準備も必要ないし、ただ塾に来て2時間適当に喋っていればお金がもらえる。
でもそれは一時でも教師を目指していた僕にとって絶対に許せないこと。
受け入れられないことを受け入れて、それでも頑張れる人だけが人に物を教える資格を持っているんだと思うから。
要は根性無しって事ですね。